2011年3月12日土曜日

・・・・・。

地震。

やっとネットが繋がった。

俺の住んでいる場所は、震源地からは離れているけど。
夕方の地震は、人生最大の恐怖を感じた。



仕事でたまたまユーザ先のサーバールームにいた。
そこには40人くらいいた。
私は部下一人とお客さん一人の計3人で各々作業をしていた。

最初、震度1くらいの地震がきた。
この時は、誰も気づいていないっぽい。
ただ、ちょっと長いので「俺が変なのか?脳梗塞?」と思って
隣の部下に「揺れてない?地震じゃない?」と
なぜか、腕を掴んで聞いてみた。

「あ、揺れてますね~」
「気持ち悪いですね。」
この段階でサーバルーム内の数人が地震に気づき始める。
次の瞬間、ゆれが大きくなって震度3~4くらいだっただろうか。
あちらこちらで「地震だ、地震だ」の声が聞こえてくる。
すかさず、強い揺れが。
お客さんは「やばいですよ。逃げましょう」と言って部屋を出て行った。
俺はこの時、もう随分揺れているから、そろそろ落ち着くでしょ。
と思ったが、このユーザの建物はとある断層の上に建っていることで有名。
「死にたくない」
正直に、そう思った。
この時、既にサーバールームの半数の人が逃げていた。
サーバールームって窓はないし、ドアと言うより扉で密閉された空間。
閉じこまれたくない。
「うちらも逃げるぞ」と俺。
サーバールームの外に出る。
おそらく、この時は震度4~5くらいだったのではなかろうか。
ただ、相当長い時間揺れていたように思う。

館内放送が流れるが、悲鳴やガタガタという音でよく聞こえない。
サーバールームを出て階段に向かい外に出る。
サーバールームから廊下(通路)を走って階段を降りるが
この時が恐らく揺れのピーク。
震度は5以上あったのだと思う。

この時、まっすぐ立っていられない。
廊下が歪んで見える。(本当だって)
でも、よたよたしながらも走って階段へ。
階段は手すりがあるので、揺れていてもなんとか走って降りれる。
その後は、無我夢中で走って外に出ることが出来た。

外に出てとりあえず、タバコに火をつける。
まだ揺れている。
震度1~2くらいの揺れだと思う。
うちら以外にもポツポツと人が建物から脱出してくる。

この時、携帯で親父に電話した。
親父は広島県にいる。
「地震。俺は大丈夫。おそらくヤバイからテレビ見て。何か分かったら連絡くれ」
この時、俺は自分のいる場所から近い場所が震源地だろうと予想。
2本目のタバコを吸い終わる頃には、だいぶ人が外にいる。
うちらのほかのメンバーも全員外に出てきた。

「ヤバかったよー」
「怖かった~」等と話していたら
再び強い揺れを感じる。
思わず上を見上げて、ユーザーのビル(18F)を見る。
ありえないくらい揺れている。
この時は、まだ建物の中に7割くらいの人数が残っていると思われる。

どうなっちゃうのこれ・・・?

親父から電話がはいる。
「宮城沖が震源地。お台場で火災。」

え???
宮城の地震でこの大きさ・・・
これは・・・・ヤバイ。


親父に言う「弟に連絡してみて」
弟は日本橋のビルにいるはず。
東京のほうがヤバそう。

この後も、揺れは続く。
激しい揺れは無いが、震度2~3くらいの揺れを感じる。
正直、建物の外にいる俺は、ちょっと安堵感。
だいぶ落ち着いた。
各々連絡を取って家族の無事を確認。
うちの弟も大丈夫みたい。

それこら今まで、何度も微弱な揺れを感じる。
夜のニュースで200~300人の遺体が発見されたの事。
このニュースを聞いた時は絶句・・・・

俺はどうすればいい?
考えるが未だ結論はでない。


今朝4時くらいには新潟、長野で震度6。
この時、こっちには強い揺れは感じられなかった。

震源地があっちこっちだわな。
もう何がなんだか・・・

落ち着こう。
さて、どうする?

昨日、小田原市沿岸部には避難勧告が出ていた。
海まで歩いて15分あれば着く俺の家は沿岸部だろうな。
今日も避難勧告は出ているのだろうか。
ドライブがてら非難してみよう。


震源地近くの人は、精神的にも肉体的にも極限の状態じゃなかろうか。
少しでも協力したいと思う。

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